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【連載】横浜植木株式会社 – 社長インタビュー第1回

【連載】横浜植木株式会社 – 社長インタビュー第1回

横浜植木株式会社は、種子の開発・生産・販売を始め園芸から造園まで手がける老舗企業です。今回は当社の伊藤社長にインタビューを行い、幼少期から現在に至るまでの軌跡や、メロンやピーマンなど数々の品種開発秘話についてお話を伺いました。

-伊藤社長
1958年8月20日、静岡県菊川市に生まれました。戦後10年以上が経っていましたが、農村の暮らしは貧しいものでした。2つ上の姉と2つ下の弟がいる3人兄弟の真ん中として育ちました。

-伊藤社長
小学校の頃から、家業である農業を手伝っていましたよ。特に田植えや稲刈りシーズンは、子供の手も大きな戦力でした。
よく運搬車をつけた耕運機を得意げに運転し、稲わらを運んでいましたね。稲刈りの時期には夜遅くまで脱穀作業をし、母が用意してくれる当時流行っていたインスタントのサッポロ一番味噌ラーメンが夜食の楽しみだったことを覚えています。また、当時はまだ農耕用に牛を飼っている農家がいて我が家でも一頭飼っていました。

-伊藤社長
他の仕事としては、冬の仕事としてみかんの貯蔵用の木箱作りをしました。当時はプラスチックコンテナがない時代だったので、山の木を製材屋で板にしてもらい、切り刻んだ木を使って木箱を作っていました。さらに、正月飾りも作っていましたが、この習慣は今でも続けています。縄は、普通の縄編みとは逆の左縄で編むのが難しかったですね。

-伊藤社長
ありがとうございます。幼少期からモノ作りが好きで、図工の授業で作った作品が展示されました。中学時代には電気に興味を持ち、ラジオやインターホンなどを作るのが好きでした。今思えば、そういった経験が今の仕事にもつながっているのかもしれませんね。

-伊藤社長
おっしゃる通り、モノ作りが好きだったので、本当は工業高校に進みたいと考えていたのですが、家が農家だったこともあり、農業高校に進むことになりました。でも結果的には良かったと思います。高校に入ると酪農に興味を持ち、熊本や北海道の酪農農家で実習を経験しました。その頃は、高校卒業後に酪農家になろうと考えていましたが、実習先で知り合った東京農業大学の研修生から、大学生活の楽しさを聞かされ、進学を決意しました。

-伊藤社長
本当にそうですね。人との出会いは大切です。東京農業大学の畜産学科を受験し、そちらは惜しくも不合格になりましたが、結果的に農学科に入学することができました。今思えば、これも何かの縁だったのでしょうね。大学では遺伝学に興味をもちました。そして、1年生の終わりに東京農業大学と関わりのある進化生物学研究所に所属することになりました。その研究所では、花や多肉植物のほか、鳥・サル・魚など世界中の動物、さらには昆虫や恐竜の化石まで、あらゆる生物が研究されており、私は好奇心が爆発しそうなほど興奮しました。

-伊藤社長
はい、間違いなく今の仕事の基礎になっています。遺伝学の知識がなければ、効率的な育種はできませんからね。勉学以外では、大学時代に一人旅に興味を持ち、10代のうちに日本一周したいと思い立ちました。ちょうど手元にあった90㏄のオンボロバイクにまたがり、夏休みを利用して貧乏旅行を決行したんです。基本的に、アルバイトで貯めたわずかな資金しかなかったため、大学の寮や駅、公園などを中心に寝泊まりしながら旅を続けました。1年目は山陰・山陽・九州、2年目は東北・北海道、3年目は沖縄本土から西表島まで巡りましたね。

-伊藤社長
若さゆえの無鉄砲さもありましたね。もちろん、バイクが故障したり、雨に降られたりといった苦労もありましたが、それも今となっては良い思い出です。計画的というより、とにかく行ってみよう!という勢いが強かったです。海外も同じ気持ちで、大学4年生のとき、卒業論文がほぼ完成した2月に海外旅行を計画し、格安チケットでタイ・バンコクへ向かいました。初めての海外旅行で不安もありましたが、事前準備はほとんどせず、「困ったらアルバイトをすればいい」と楽観的に考えていたことを覚えています。バンコクに深夜到着後、予約していた宿もなく、現地で知り合った日本人について行きYMCAに宿泊。その後、バンコク周辺を観光し、資金不足から駅で寝泊まりする生活を送りました。

-伊藤社長
そうなんです。そのあとはインドにも行きました。旅行中にインド帰りの日本人と出会い、その魅力を聞かされるとすぐに心を動かされたため、有り金をはたいてカルカッタ行きの航空券を購入しました。インドでは、厳しいカースト制度や貧富の差に衝撃を受けたことを今でも覚えています。宿泊はドミトリーに泊まり、ガヤやベナレス、デリーを巡りました。旅の途中で資金が尽き、レンズや三脚を売ったり、服をカレーと交換したり、日本製のライターやボールペンなどを現地で売りながら、何とか生活を続けました。

-伊藤社長
この旅で見たもの、感じたことは、今でも鮮明に記憶に残っています。語学力のなさにショックを受けつつも、世界中の若者と片言の英語で交流を試みた日々の経験が、わたしの人生観を大きく変えるきっかけとなりました。

-伊藤社長
ありがとうございます。そうですね、どんな状況でも最善を尽くして生き抜く力は、育種の仕事でも役立っています。失敗や予想外の結果に直面しても、それを前向きに捉えて次に活かす姿勢は、旅での経験から培われたものかもしれません。

その気になる続きは、ぜひ「横浜植木株式会社 – 連載社長インタビュー第2回」で!!
次回をお楽しみに…

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