こんにちは、社長の伊藤です。いつも、当社ホームページをご覧いただきありがとうございます。今回は今年2月に開催された「第31回八丈島産業祭~フェニックス・ロベレニー導入100周年記念~」についてお話させていただきます。
八丈島の地場産品が一堂に揃う「八丈島産業祭」
「八丈島産業祭」は、八丈島の産業や文化を紹介し、交流を深めるイベントです。
産業祭は、八丈島の特産品や観光情報が展示・販売され、地元の文化や伝統芸能の披露、ステージイベント、グルメなどを楽しめる場として、地域住民や観光客が集まります。また、地元の企業や団体も参加し、交流を深める機会となっています。
今年の第31回八丈島産業祭は「フェニックス・ロベレニー導入100周年記念」をテーマに祝う感謝祭でした。そして、このフェニック・ロベレニーを大正10年(1921年)に八丈島に導入したのが横浜植木ということで招待されました。
本来は令和2年に開催される予定だったのですが、新型コロナウイルスの影響もあって開催できず、改めて本年の開催となりました。
フェニックス・ロベレニーについて
「フェニックス・ロベレニー」を知らない方もいると思いますので簡単に説明します。
フェニックス・ロベレニーは、花束やスタンド花などの装飾に多く使われる添え葉です。
名前を知らなくとも大半の方々は目にしていると思います。
メインの花を煌びやかに引き立てる脇役として欠かすことのできないスタンド花の1つであるフェニックス・ロベレニーの多くは、八丈島で生産されています。また、鉢物の室内観葉植物や庭木などでも目にする事が多く、まるで南国のリゾート地を連想させる木姿が人気を呼んでいます。
フェニックス・ロベレニーと横浜植木の関わり
当社は、大正8年(1919年)に中国から入手した、特別なテッポウユリの隔離生産をする目的で八丈島に農場を開設しました。その後、島の農場にはフェニックス・ロベレニーを始め、世界中から集めた珍しい植物を持ち込み栽培しました。
ただ、現在の事業に結びついたフェニックス・ロベレニーの株は、2代目社長だった鈴木浜吉が大正10年(1921年)にタイから持ち帰った高さ60cmほどの雌雄株が元になっています。その2株が代々受け継がれ、現在の産業に繋がりました。
八丈島は東京都心から南方に300km地点にあり、2つの火山からできたひょうたん島です。面積は山手線内側とほぼ同じで人口は約7,000人。
気候は黒潮の影響を受けて温暖湿潤な気候であり、年間を通して風が強く、雨が多いのが特徴です。平地が少ないため水稲や畑作などの農業は難しく、気候的にもフェニックス・ロベレニーに適していたことから普及したと考えられます。
「八丈島産業祭」を終えて
初日は町長やJA組合長を始め、多くの関係者を訪問して、ご挨拶をさせて頂きました。その中で、フェニックス・ロベレニーが島で大きな基幹産業になった歴史や横浜植木との関わりなどを多くの方々より聞くことができました。
「横浜植木が八丈島にフェニックス・ロベレニーを導入しなかったら、今は無かったと言っても過言ではない」といって下さる方もいて、本当に嬉しく思いました。企業の事業活動は多くの方を幸せにし、持続的に社会貢献することだと改めて感じることができました。
産業祭の閉会式では審査会で優秀な産物を出品した生産者への表彰式があり、その中で「横浜植木賞」として鉢物フェニックス・ロベレニー生産者に授与いたしました。式典の最後には、組合長より横浜植木が100年前の行いにより島の主要産業を築いたことを称え、感謝状をいただきました。
本当に偉大な先人達に感謝感謝です!!