当社が過去約40年間にわたり手がけてきた公園を、連載形式でご紹介してまいります。
市内最古の山手公園、港横浜をイメージした象の鼻パーク、臨港パーク、ズーラシアなどの動物園、そして憩いの場となる様々な公園を、当社は過去から現在に至るまで数多く手がけてまいりました。これらの公園は、現場担当者が横浜市の監督員と協議を重ね、創意工夫と努力を尽くし、一つひとつ丁寧に作り上げたものです。
ぜひこの機会に、お近くの公園を散策してみてはいかがでしょうか。
1.山下公園
名称 | 山下公園 |
所 在 地 | 横浜市中区山下町279番 |
開 園 | 1930年(昭和5年)3月 |
#公園の特徴
山下公園は、関東大震災のガレキを埋め立てて造られました。横浜港に面して全長約750m、幅約100mある大きな公園です。1860年代は、フランスの波止場として使われていました。1930年3月に開園されましたが、1945年終戦後アメリカ軍にて接収、1959年に接収は全面解除されました。1961年には再整備が完了し、岸壁には「氷川丸」が係留されました。
#横浜植木と山下公園
横浜植木では、昭和50年代から毎年のように工事に入っていました。昭和60年代の山下公園の名物といえば、アイスクリーム売りのおばさんと旧国鉄の貨物線が通っていたことです。海も以前は土色でゴミが溜まっていましたが、現在では浄化が進み、トライアスロンの大会が開かれるまで綺麗になっています。
水の階段・石のステージは、昭和63年に施工しました。山下公園が、関東大震災のがれきを埋め立てて出来ていることもあり、石のステージ両脇のイチョウの木で使用された根鉢の半分がレンガであることから、搬入・植込みには苦労しました。
沈床花壇は、山下ふ頭臨海鉄道の高架撤去に合わせて、平成12年に整備を行いました。施工前、フランス波止場の遺構発掘を行った際には、遺構を掘り当てたことで工事が2か月ストップしたことを覚えています。
2.港の見える丘公園
名称 | 港の見える丘公園 |
所 在 地 | 横浜市中区山手町114 |
開 園 | 1962年(昭和37年)10月 |
#公園の特徴
この一帯は開港当時外国人慰留地で、丘の上にイギリス軍、下にはフランス軍が駐留しており、丘の中腹にはフランス領事館邸もありました。(現在も一部が遺構として保存されています)
#横浜植木と港の見える丘公園
造園部では、港の見える丘公園の名所と呼ばれる、数々の風景を手掛けてきました。平成3年に開園した初代バラ園(現在のイングリッシュローズの庭)や、庭園絵画の中の散歩道の整備工事も、横浜植木が請け負っています。横浜の街を代表する公園の工事に携われたこと自体が 造園屋にとって幸せな経験でした。
3.開港広場公園
名称 | 開港広場公園 |
所 在 地 | 横浜市中区山下町1番 |
開 園 | 1982年(昭和57年) |
#公園の特徴
横浜港の玄関口、大さん橋入口の交差点の横に日米和親条約締結にゆかりのある開港広場公園があります。日米和親条約の締結の地として有名です。周辺には、最古のプロテスタント教会である「横浜海岸教会」や「横浜開港資料館」など歴史的建造物や記念碑もあり、横浜の開港の歴史を感じられる広場です。
#横浜植木と開港広場公園
当社造園部は、横浜開港資料館と横浜海岸教会と隣接する広場の円形噴水と、ステンレスのモニュメント、御影石の敷石敷設を第1期工事として1982年に行いました。この工事の施工途中で敷地内の土の中から明治時代に使われていたレンガ造りのマンホールと卵型管がほぼ原形のまま発見され、現在もガラス越しに見ることができます。
その後2010年代の第2期工事で、拡張した敷地に、外観が御影石張りで左右対称のトイレと倉庫の建物、その2棟にはさまれた壁泉が完成しました。大さん橋の中心線と横浜海岸教会の尖塔の先端は同一線上にあり、その線上に壁泉の中心吐出口、円形噴水の中心、日米和親条約の記念碑が設置されていることはあまり知られていません。
横浜植木と濱田園のJVにて完成させたこの公園は、第一回横浜まちなみ景観賞を受賞しました。
4.グランモール公園
名称 | グランモール公園 |
所 在 地 | 横浜市西区みなとみらい3丁目 |
開 園 | 1988年(昭和63年) |
#公園の特徴
横浜博覧会と同時に完成した、みなとみらい21地区を南北に貫く広大な公園です。グランモール軸を形成する公園で、パブリックアートや水・緑・光による空間づくりを造型した広大なオープンスペースです。
#横浜植木とグランモール公園
2016年にリニューアルオープンしたグランモール公園ですが、こちらの再整備工事は造園部が受注、対応しました。
5.イタリア山庭園・外交官の家
名称 | イタリア山庭園・外交官の家 |
所 在 地 | 横浜市中区山手町16 |
開 園 | 1998年(平成10年)6月25日 |
#公園の特徴
横浜市中区の山手地区にある公園です。1880年(明治13年)〜1886年まで、イタリア領事館が置かれたことから「イタリア山」と呼ばれています。水路や花壇を幾何学式に配したイタリア式庭園で、1993年にはブラフ18番館、1997年には外交官の家が移築されました。
#横浜植木とイタリア山庭園・外交官の家
イタリア山と呼ばれていた公園の一角に、かつての外交官内田定槌氏の邸宅を渋谷から移築する事となり、山手教会の建設や旧山手68番館の移築などに実績のある地元の建設会社らが受注しました。その際、近隣の山下公園や港の見える丘公園などの施工実績のある当社に、外構工事の依頼がありました。
歴史ある建物の外構造園工事に合うように、資材や製品も特別なものが多く、門扉は京都の鍛鉄職人が手がけた特注品、庭園に飾る花鉢はイタリアから輸入したものなどを使用しました。景観の代表であるメタセコイアの大木の移植では、草木を枯らさないよう細心の注意を払いました。
当社が手がけた公園の作品集〜パート1〜はいかがでしたでしょうか。他の公園につきましては【横浜植木が手掛けた主な公園-パート2】でお話ししたいと思います。
お楽しみに!!